埼玉県の戦国時代に起きた歴史
歴史好きな女子に興味をもたれず、戦国時代を舞台にしたゲームなどで題材にされていない埼玉県の戦国時代の歴史というと殆どの方は興味を持っていないのではないでしょうか。
あるいは、何も起こらなかったと思っている方もいるかもしれません。
私もそうだったんですが、戦国時代好きの風俗嬢に教えてもらったんですが。
戦国時代初頭は、埼玉県はその真っ只中にあり、その戦国時代初期には、埼玉県北東部の岩付(現岩槻)城を防衛線とする太田道灌と、古河城(埼玉県とは利根川を挟んで対岸の茨城県古河市)を御所とする足利成氏・古河公方との戦の舞台であり、戦国前中期に起こった長尾景春の乱では、鉢形城のあっ寄居町周辺が、また戦国中期には平井城(群馬県藤岡市)を拠点とする関東管領家山内上杉氏と河越(川越)城を拠点とする分家の扇谷上杉氏との戦の舞台にもなっています。
また戦国時代後半には北条氏康が足利公方・関東管領上杉氏、分家扇谷上杉氏を倒し関東制圧のきっかけとなった戦で、日本三大奇襲のひとつ河越夜戦も埼玉県内で起きた戦です。
つまりは戦国時代全般にわたって関東戦国時代の戦の最前線であったわけです。
その中でも、これから大いに注目を集めるきっかけをなってほしいのが11月3日に公開される「のぼうの城」という映画の舞台になる忍城です。
埼玉県行田市にある忍城は、別名忍の浮き城と呼ばれ、現在ではゆるキャラのうきしろちゃんで町おこしをしようとしていますが、隔たった歴史教育により今ひとつ皆の注目が集まっていませんでした。
応仁の乱が終結する前後の文明年間に山内上杉家臣の成田正等により築城されました。
しかし、永享の乱以降、利根川大岸を拠点とする足利公方に攻められ、長尾景春の乱では公方方に寝返りました。
その孫の代の成田長泰の時は、長享の乱、永正の乱では、再び山内上杉氏の配下となり、さらに北条氏の勢力が忍城に迫ると北条配下となり、また上杉謙信の小田原城攻めでは越後勢の配下となり、激動の戦国時代を乗り越えてきました。
またその子の代には、越後勢と小田原勢への寝返りを繰り返し、織田信長の家臣滝川一益が攻めてくると、即座に織田方に寝返り、本能寺の変の後は再び北条方につきました。
そして、天正18年、この映画の内容となる小田原攻めでは、石田三成率いる大谷吉継、長束正家連合軍により、秀吉の高松城の水攻めを模して、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を築き、忍城利根川の水を引き込み水攻めにされたのでした。
そのときより「うきしろ」と呼ばれるようになったのでした。
忍城勢500に対して石田勢2万ながら、真似は出来ても独創的な戦略を立てられない石田勢は、半分以上の兵を失い、結局攻めきることが出来ませんでした。
見るに見かねた秀吉は真田昌幸・真田信繁父子、浅野長政を援軍に差し向けるも、城門を開けることすら出来ませんでした。
このとき忍城の陣頭指揮をとっていたのが、成田氏長の甥成田長親と氏長の娘甲斐姫ということで、女傑として伝説となったのです。
この映画を期に、戦国ゲームのキャラにも加わるかもしれませんね。
わたしに教えてくれた風俗嬢もきっと喜ぶと思います。
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